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写真________________更新2010-08-28 (土) 15:12:56
旧三商大写真展 8/17火~8/22日
- 1年のとき新入部員は7人居たが、3年になると、実働3人となった。
羽島賢一、佐藤昭一、森正之。この3人は今も写真を撮っていて、今回の「旧三商大写真展」に出展している。
一橋大学(旧東京商科大学)、神戸大学(旧神戸商科大学)、大阪市立大学(旧大阪商科大学)写真部の交遊は永く続いていて、今回75周年記念展となっている。2010.8.5木
大学写真部の友人
- 同級生に羽島賢一君が居た。彼は都立小石川高校で写真部に属し、高校の友人に、西宮正明さんが居た。
西宮さんは、やがて日本写真家協会会長という、我が国プロ写真家のトップに登りつめる。
羽島君は、「深い黒の発色が写真の命」だと言って、とんでもない暗室技術の持ち主だった。 - 羽島賢一君は、今回の【旧三商大写真展・創立75周年記念展】を推進する中心者で、現役写真家と言っていい人物だ。
彼も私同様、会社定年を遥か昔に迎えた訳だが、今なお神戸の街のスナップは瑞々しい感性に溢れている。2010.7.31
大学写真部と酒
- 写真部に入って当初一番辛かったのは、写真より、なにかと酒を呑む(呑まされる)機会が多かったからだ。
尤も昭和20年代の終わりから30年代の初め頃は、二級酒しか呑めない時代だったが。
今は亡きM先輩に「写真部に入ったのは酒を飲むためではない」と手紙を書いた記憶がある。 - 父は造り酒屋の長男に生まれたにも拘わらず全くの下戸で、大学に入るまで私は酒に全く縁が無かった。
- だが結局、写真部のお蔭で、お酒を嗜むという幸せな習慣が身に付いたのだった。
2010.7.31
暗室
- 物ごころついた時、わが家に「暗室」があった。
父親が盥に写真を浮かべて暗室から出て来ると、昼間撮った家族の写真が写っている。
そのセピア色の写真は、まだ手許に残っている。
父の形見の六桜社製セミパールは、Max100分の1秒の蛇腹カメラで、これも私の手元に残っている。
大学で写真部に入ったのは、良い引延機が使えそうだからだった。
わが家のラッキーの引延機は、ピントが少々甘かった。
高校時代化学部に属し、隣に写真部の暗室があったが、受験戦争真っ只中の自分は、写真部に入る気持ちの余裕はなかった。2010.7.31
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